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浦和地方裁判所 昭和47年(ワ)615号 判決

原告

苦田哲也

右法定代理人親権者父

苦田定男

同母

苦田ヨリ子

外二名

原告ら訴訟代理人

名川保男

外三名

被告

梅沢恂二

右訴訟代理人

飯山一司

外二名

主文

1  被告は、原告苦田哲也に対し金一、三九八万九、六四九円、原告苦田定男及び原告苦田ヨリ子に対し各金五〇万円、並びに右各金員に対する昭和四七年一〇月一一日から完済に至るまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

2  原告苦田哲也のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、原告苦田哲也と被告の間においてはこれを四分し、その三を原告苦田哲也の、その一を被告の負担とし、原告苦田定男、同苦田ヨリ子と被告の間においては被告の負担とする。

4  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  各当事者の求める裁判

(原告らの請求の趣旨)

一、被告は、

1 原告苦田哲也に対し、金四、八七一万六、九一三円及び内金一、五九〇万八、九三七円に対しては昭和四七年一〇月一一日から、内金一、八五一万三、七〇三円に対しては昭和五〇年二月一四日から、内金一、四二九万四、二七三円に対しては昭和五二年五月二八日から各完済に至るまで年五分の割合による金員、

2 原告苦田定男、同苦田ヨリ子に対し、それぞれ金五〇万円及びこれに対する昭和四七年一〇月一一日から各完済に至るまで年五分の割合による金員

を支払え、

二、訴訟費用は被告の負担とする、

との判決ならびに仮執行の宣言。

(被告の請求の趣旨に対する答弁)

一、原告らの請求をいずれも棄却する、

二、訴訟費用は原告らの負担とする、

との判決。

第二  当事者の主張

(原告らの請求原因)

一、当事者

(一) 原告苦田哲也(以下「原告哲也」という。)は、昭和四二年一月一日、原告苦田定男(以下「原告定男」という。)、同苦田ヨリ子(以下「原告ヨリ子」という。)の長男として出生し、本件事故に至るまでは平均以上の身心の健全な発育をしていた。

(二) 被告は、肩書地の整形外科梅沢病院(以下「梅沢病院」もしくは「被告病院」という。)において、院長兼医師として同病院の業務を統括するとともに診療に従事しているものである。

二、フオルクマン拘縮の発生

(一) 原告哲也は、昭和四四年一二月五日午後一時すぎ、肩書地の自宅前路上において、原告ヨリ子が買い物に行く際、買物篭を忘れてきたことに気づき、スタンドを立てた婦人用自転車の後部荷台に原告哲也を乗せたまま、自宅に戻つた寸時の間に、自転車ごと左側に転倒して左腕付近を骨折したため、同日午後二時すぎ救急車により梅沢病院に運ばれ、同月一六日までは入院、その後翌四五年一月一二日までは通院して被告の治療を受けた。

(二) ところが、昭和四五年一月中旬に至り、原告哲也の左手が、四肢の血行障害から生じる筋の進行性変性で、末梢神経に対する酸素欠乏のために急激に麻痺がおこり、その結果これに羅患した四肢は拘縮を起し、特有な変形を示すとともに高度の機能障害を生じる疾病であるフオルクマン拘縮にかかつていることが判明し、原告定男、同ヨリ子が奔走し、フオルクマン拘縮に関する我が国医学界の権威である広島大学医学部津下健哉教授の診察、手術を受けさせたものの、原告哲也は、左肘部、左下腕、左手首、左手甲及び左手指について障害が残り、左手の機能をほとんど失なつてしまつた。

(三) 本症の発生時期について

フオルクマン拘縮は、しばしば幼児の顆上骨折に伴つて発生し、しかもその場合には負傷後すみやかに前駆症状があらわれるものであるところ、原告哲也の場合には負傷時から約二時間後の昭和四四年一二月五日午後三時一八分ころから寝かされていたベツドのうえで大暴れをするほどの痛みを訴え、翌六日午前六時ころには左手甲全体が風船のように腫れ上がり、同月九日には左肘外側部分に水疱が生じていたなどの症状があらわれており、また、原告哲也は翌四五年一月一二日熊谷市小久保整形外科の小久保医師の診察を受けてフオルクマン拘縮であることが判明したのであるが、その際には、すでに完成したフオルクマン拘縮の姿を示していたのである。よつて、原告哲也が負傷し梅沢病院に入院した当日である昭和四四年一二月五日に阻血がはじまり、これにひきつづいて拘縮が起つたものとみるべきである。

三、被告の責任

1 被告の過失

(一) 上腕骨顆上骨折治療を担当する医師の一般的注意義務

医療は、患者の身体を直接の対象として生命の救済、身体及び機能の保全のために行なわれるが、ひとたび方法を誤れば、生命・身体・健康を損う危険性をはらむものであるから、これにたずさわる医師は現時の医学の法則に則り、専門的に一般に承認された方法、より危険性の少ない方法で治療にあたり、その方法の実施については相当な注意を尽さなければならない。そして、被診療者の病状に留意し、これに応じた適切な処置をとり、いやしくも治療上やむをえない場合を除き他病を併発させるべきではなく、かつ併発した他病に対しては即時治療上必要な措置をなして被診療者の身体に障害を与えないよう診察すべき業務上の注意義務がある。

とりわけ被告においては、いやしくも本件事故までに医師登録後一〇年余を経過した中堅医師であり、しかも整形外科を専門と表示して病院を経営しているものであるから、専門である骨折の治療についてはそれ相当の注意義務が要求されてしかるべきである。

被告は原告哲也の受傷直後に上腕骨顆上骨折の診断をなしているところ、幼児の同症にはフオルクマン拘縮という悲惨な疾患が併発するおそれがあることは一〇〇年も前から医学上説かれ、被告も十分知悉していたにずであるから、これに的確に対処すべきであつた。

(二) 被告の具体的過失

(1) 顆上骨折の治療方法についての過失

幼児の上腕骨顆上骨折を治療する際には、フオルクマン拘縮の併発を避けるため阻血を発生させない治療方法を選択しなければならないのであつて、まず徒手整復を行ない、しかるのち牽引をする必要がある場合には、上腕部にラバー包帯を巻いて骨折に伴う腫張を外部へ放出させることができない状態となるスピードトラツクによる牽引は避けて、直達牽引を考えるべきである。

ところが、被告は、原告哲也の左上腕骨顆上骨折の治療方法として入院直後である昭和四四年一二月五日午後三時前ころから同月九日午後二時ころまでの間、徒手による整復を施さないまま次のとおりスピードトラツクによる垂直牽引を行なつた。

昭和四四年一二月五日午後三時前から同日午後四時ころまで 三キログラム

その後同月八日前まで 二キログラム

その後同月九日午前一〇時ころまで 2.5キログラム

その後同日午後二時ころまで 一キログラム

被告の右の一般的とはいえない治療方法により阻血が誘発されやすい状態が作出されてしまつた。

(2) 看視懈怠の過失

幼児の上腕骨顆上骨折において最大の脅威は阻血であり、その結果としてのフオルクマン拘縮であるから、医師がまず行なうべき措置は血行障害の有無の判断である、そして、その検査法自体は手間のかかることではなく、端的にいえば、爪の先を押し、離したときに白くなつた爪が赤く戻るか否かを見ればよいのである。

ところが、被告の診療録(乙第一号証)には昭和四四年一二月五日の欄に「手指の運動は良好」「チアノーゼなし」との記載はあるが、この記載がいつなされたかについては疑問があつて信憑性に乏しく、もしこれが信用できるとしても、どのような検査を行なつたのかについての記載がないので、被告は十分な検査法を講じなかつた疑いが濃いのである。

フオルクマン拘縮の結果をもたらす阻血は負傷後すみやかに生じるのであり、一旦この症状が現われたならただちに適切な処置をとらなければならず、二四ないし四八時間も経過すれば筋の変性をとめることは不可能である。これに加えて、被告は前記のとおり上腕骨顆上骨折と診断したにもかかわらず阻血を起しやすいスピードトラツクによる垂直牽引を施したのであるから、その後の数日間、とりわけ入院後の数時間は間断なく右症状の発生いかんを看視することが必要であつた。

しかるに、被告は、昭和四四年一二月五日午後三時前、原告哲也に対しスピードトラツクによる牽引を自ら開始したにもかかわらず、その後同日中一度も診察に訪れなかつたばかりか、その後翌六日、七日の両日にわたり一度も原告哲也を診察せず、他の医師をして診察させることもしなかつた。しかも、その間、五日午後三時一八分ころには原告哲也が激痛に苦しんだため、原告ヨリ子が診察室に行き、被告にその旨訴えたにもかかわらず、被告は何らの返答もせず、同日午後四時ころになつて看護婦が牽引の重さを三キログラムから二キログラムに減じたのみであり、また同日午後四時半ころにも同様に原告ヨリ子が被告に訴えたが、このときも返事をせず、しばらくして看護婦が、症状発現の際使用してはならないとされる鎮痛剤をうつたのである。

なお、同日午後七時ころに至り看護婦が原告ヨリ子に対し「爪の色が変つてきたら知らせて下さい。」と指示したが、重大な結果を生じるおそれがあるにもかかわらず、しろうとの原告ヨリ子に看視をゆだねるのは極めて不十分な看視方法であつて、これによつて被告が過失を免れることができないことは明らかであるうえ、同日午後八時ころ原告ヨリ子が原告哲也の左手指などが非常に冷たくなり、手の甲の色が変つて紫色の斑点ができてきたことに気づき、その旨看護婦に連絡したにもかかわらず、「爪の色が変らなければ大丈夫です。」というのみで見にも来なかつた。

また、六、七日両日の間は看護婦による一日三回の検温があつただけであり、しかも原告ヨリ子が看護婦に対し原告哲也の手が腫れたことを訴えたところ、「牽引しているのだから腫れます。」などというだけで、とりあげてくれない有様であつた。

2 被告の過失とフオルクマン拘縮発症の因果関係

被告が適切な骨折の治療法をとつて阻血の起りやすい条件つくることを避け、看視義務を懈怠せず、たえず原告哲也の左手の症状に注意を払い、入院当日の午後三時一八分ころ同原告が苦痛を訴えて大暴れした旨原告ヨリ子から聞いた際阻血を疑い、ただちに包帯除去、更には筋膜切除等の手術により血行の改善を図つておればもちろんのこと、少なくとも時折診察を行ない、あるいは原告ヨリ子の訴えに応じて原告哲也の様子を見に訪れるなどして十分に阻血の症状の発生の有無に注意を払つていたならば、その症状を早い時期に発見して早期に治療を施すことができ、その結果フオルクマン拘縮による悲惨な事態は避けられたはずである。

3 以上のとおり、原告哲也がフオルクマン拘縮に罹患し、左手の機能をほぼ完全に失つたのは被告の業務上の過失によるものであるから、被告は民法七〇九条により原告らに対し後記損害を賠償すべき義務がある。

四、原告らの損害

1 原告哲也の損害

(一) 積極損害

金一五一万六、九一三円

その内訳は次のとおりである。

(1) 診療治療費 金三二万〇三四一円

(2) 入院に伴う経費(付添料を含む)

金四一万五、五五五円

(3) 交通費 金四三万六、六四〇円

(4) 宿泊費 金八万〇六六三円

(5) 連絡費(電話料) 金八万〇一九六円

(6) 生計費上昇額(ガス代)

金七、八四八円

(7) その他治療関係諸費用、器具購入費、工事費等 金一七万五、六七〇円

(二) 逸失利益 金四、一二〇万円

原告哲也はほとんど左手の機能を失つたものでこの障害は労働基準法施行規則別表第二の身体障害等級表に照すと第五級四号「一上肢の用を全廃したもの」に該当するが、その労働能力喪失率は七九パーセントとされている。

ところで、原告哲也は前記の父母の経歴・地位・家庭環境及び本人の身心の発育状況により通常の大学を二二才をもつて卒業し、即時就職するものと推認され、他方、原告哲也は本件事故当時満二才一一ケ月であつたが、満三才の男子の平均余命は70.99年であり(総理府統計局編第二四回日本統計年鑑所載生命表)、我が国の六五才以上の者の就労率がおおむね五〇パーセントに達していることから、すくなくとも六七才に至るまで労働をすることが可能である。

二二才から六七才までの四五年間の年間平均賃金を昭和五〇年賃金構造基本統計調査による大学卒業者の月間給与及び年間賞与にそれぞれ五パーセントの上積みをした額を基準として算出すると三八一万七、二一一円となる。

したがつて、右収入の七九パーセントにつき右の四五年間の総額の現在価額をホフマン方式により求めればこれが原告哲也の逸失利益であり、金四、一二〇万円(万円末満切捨て)となる。

8,817,211×0.79×23.28×0.5882

=41,208,262

なお、一歩を譲り、一八才から六七才までの四九年間について右調査による男子労働者の平均月間給与(一五万二〇〇円)及び年間賞与(五六万八、四〇〇円)にそれぞれ五パーセントの上積みをした額を基準にホフマン方式により算出したとしても、(但し、一〇才時受領として計算する。)金三、四二八万円(万未満切捨て)となる。

(三) 慰藉料   金六〇〇万円

原告哲也は、本件事故に至るまで平均以上の身心の発育を示し、父母、近親、知人一同からも将来を嘱望されてきた男児である。父は早稲田大学第一経済学部経済学科、母は静岡大学教育学部数学科をそれぞれ卒業したもので、最高学府における高度の教育を受け、父は日本化学産業株式会社を経て西武ポリマ化成株式会社に勤務しており、教養と知性のある模範的家庭を営むものであつて、原告哲也は恵まれた家庭環境の中で両親の愛を一身に集めてはぐくまれ、将来は最高学府に進み、あらゆる職域においても十分な社会活動を期待でき、まさに前途洋々たるものがあつたが、本件事故の結果わずか二才一一ケ月において端的にいえば不具廃疾同然の姿となり、これからの長い人生において筆紙に尽し難い困難を受け、ときには屈辱に甘んじなければならなくなつた。

原告哲也の蒙つた障害は前述のとおり労働基準法施行規則別表第二の身体障害等級第五級四号に該当し、その慰藉料は五九〇万円より四七二万円の間が妥当するとされているが、幼児については高限の数字にのつとるのが相当であり、原告哲也については治療のために相当期間の入院、通院等をしていることを考慮すれば、その慰藉料は金六〇〇万円が相当と思料する。

(四) 以上合計すると、原告哲也の損害は金四、八七一万六、九一三円となる。

2 原告定男及び同ヨリ子の損害

(慰藉料) 各金五〇万円

原告定男及び同ヨリ子は、同人らにとつて掌中の珠ともいうべき最愛の長男が最もいたいけな物心も十分つかないときに不具廃疾の姿となつた経緯を直視することとなり、事故発生後悩み苦しみの日夜を過してきた。しかも今後も苦難を耐え忍んでいかなければならぬ原告哲也とともに歩む行路は至難である。

このような事情を総合すると、原告定男及び及び同ヨリ子に対する慰藉料は各金五〇万円が相当である。

五、結語

よつて、被告に対し、(1)原告哲也は、金四、八七一万六、九一三円並びに内金一、五九〇万八、九三七円に対しては本訴状送達の翌日である昭和四七年一〇月一一日から、内金一、八五一万三、七〇三円に対しては請求を拡張した原告第三準備面送達の翌日である昭和五〇年二月一四日から、内金一、四二九万四、二七三円に対しては更に請求を拡張した原告第四準備書面の送達の翌日である昭和五二年五月二八日から右各完済の日まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、(2)原告定男及び同ヨリ子は慰藉料各金五〇万円並びにこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四七年一〇月一一日から前同率の損害金の、各支払を求める。(請求原因に対す被告の答弁及び反論)

一、請求原因一について

(一) (一)の事実は不知。

(二) (二)の事実は認める。

二、請求原因二について

(一) (一)の事実のうち、昭和四五年一二月五日午後二時すぎころ原告が救急車で梅沢病院に運ばれ、同日から同月一六日までは入院、その後翌四五年一月一二日までは通院のうえ被告の治療を受けたことは認めるが、その余の事実は不知。

(二) (二)の事実のうち、結果として原告哲也の左腕がフオルクマン拘縮となつことは認めるが、その余の事実は不知。

(三) (三)の事実のうち、フオルクマン拘縮がしばしば幼児の顆上骨折に伴つて発生すること、負傷後すみやかに前駆症状があらわれること、原告哲也の左手が腫れたことは認めるが、その余の事実は否認する。

三、請求原因三について

1 同三の1について

(一) (一)のうち、上腕骨顆上伸展骨折の治療にあたる医師がフオルクマン拘縮の発生の予防に万全を期すべきであることは認める。

(二)(1) (二)の(1)のうち、被告が昭和四四年一二月五日午後三時前ころから原告哲也に対し徒手整復をしないままスピードトラツクによる垂直牽引を行ない、これを同月九日午後二時ころまで続けたこと及び牽引の重量が当初は三キログラムであつたがのちに二キログラムとしたことは認めるが、その余は争う。

(2) (二)の(2)の各事実はいずれも否認する。

2 同三の2は争う。

3 被告の主張

(一) 本件診療の経緯

(1) 昭和四四年一二月五日午後二時過ぎ原告哲也が梅沢病院に救急車で運ばれてきたが、その際、被告は、原告ヨリ子から自転車の荷台に乗つていて自転車と一緒に倒れて左肘を強打したと聞き、また、原告哲也の左肘関節部が異常に大きく変形していて顔面が蒼白となつていたのをみて悪質な骨折であることを知つた。そこで、被告は直ちにレントゲン撮影を行つて検査したところ、上腕骨顆上骨折で、転位が著しい典型的な伸展骨折であることがわかつたので、当時梅沢病院は入院患者で満床であつたが、治療が終りに近づいていた患者にベツドをあけてもらつて、原告哲也を入院させた。

(2) 被告は、同日午後三時前ころ垂直牽引を開始した際原告哲也の手指、肘関節を診察したが、その結果、手指の運動は良好であり、チアノーゼもマイナスであつた。

(3) 被告は、本件骨折の場合その骨折状態や患者の年齢等から、緊急にラバーによる持続垂直牽引法をしなければ、中枢骨片の圧迫により動脈、神経の損傷をきたし、前腕及び手指の血行障害や神経障害をきたしてフオルクマン拘縮等を発生するおそれがあるものと判断し、垂直持続牽引法を採つた。

(4) 被告は、垂直牽引を採るとともに、その間フオルクマン拘縮等の後遺症の発生を予防するべく、血行運動、腫れ、知覚、脈はく、水疱等に注意を払い、自ら、原告哲也の入院以来、通常は日に二、三回、少ない日でも一日一回は診察しているし、看護婦に原告哲也の状態をよく看視し、もし異常があれば直ちに医師に連絡するよう指示し、何時でも医師の指示に従つた適切な処置がとれるよう手配していたが、原告哲也の症状には異常が生じなかつた。

そのため、同月九日にギブス固定をし、同月一六日には退院を許し、その後は通院のうえ治療をしたが、昭和四四年内は異常は認められず、翌四五年一月五日に至つてはじめて原告哲也の左手がフオルクマン拘縮となつていることを発見したのである。

(二) 本症の発生時期について

原告らは、本件フオルクマン拘縮は被告病院入院中に発生したと主張するが、入院期間中の原告哲也の左手の治療経過は通常の骨折患者の場合と異るところは全くなく、左手にできた腫れや水疱もその程度は中程度で異常なものではなかつた。フオルクマン拘縮における筋の壊死は阻血性拘縮の六時間で成立し、非回復性阻血性末梢神経障害は一二ないし二四時間のうちにくるといわれているのであるから、本件フオルクマン拘縮の原因たる阻血のあつたのは被告が昭和四四年内で最後に診察した一二月二九日以後と考えられるが、なぜこの時期になつて本症が発生したのかは判明しない。

(三) 顆上骨折の治療方法について

上腕骨顆上伸展骨折というのは上腕骨々折のうちその下端にある半円球状部分のすぐ上の部位の骨折で、かつ骨折線が前下方から後上方に走つて、中枢骨折端は前下方に、末梢骨折端は後上方に転位したものであつて、肘を強く屈曲して肘の後方をついて倒れたときにおこりやすい骨折である。そして、この骨折には様々な合併症・後遺症が伴いやすく、この後遺症の一つにフオルクマン拘縮がある。原告らは、その併発を避けるためには、まず、徒手整復を行なうべきであると主張する。しかしながら、徒手整復法は患者に全身麻酔を施して行なうもので幼児に対しては不適当である。かえつて、小児の骨折で整復が困難な場合や腫張が高度なために屈曲位に固定すると血行障害の危険のあるもの、整復位の固定が不安定なものには牽引療法が最も安全かつ確実な方法であるから、原告哲也の場合には牽引法を採ることが正しかつたのである。そして、絆創膏牽引では圧迫が強く、皮膚炎を起しやすいので、ラバーでつくられているスピードトラツクを用いて牽引をしたものであり、その重量は当初は三キログラムとしたが、のちには転位が小さくなつたので二キログラムとしたのである。したがつて、被告の採つた治療法について何らの過失も存在しない。

(四) 看護義務について

原告らの主張によると、被告が原告哲也に対し、昭和四四年一二月五日に垂直牽引を施したのち、その三日後である同月八日まで医師の診断が行なわれなかつたことになるが、そのようなことは骨折治療を目的とする整形外科医である以上絶対ありえないことである。すなわち、垂直牽引を施し、経過を観察することにより後遺症を防ぐ目的で入院させながら、圧迫により多少の危険を伴う垂直牽引をしたままで診察をしないで数日間放置することは、いかなる医師の場合でも全く考えられないことである。まして原告哲也の場合には当初から危険を感じて強制的に入院させ、ただちに自らの手で治療を実施しているのであるし、今までに経験をしたことのない二才一一か月の幼児であつたのであるからなおさらである。万一被告が原告ら主張のごとき治療態度であるならば、原告哲也を無理をして入院させることをしなかつたであろうし、今までに二〇〇例以近い上腕骨顆上骨折患者の治療ができるはずがなく、比較的重傷の患者を扱いながら評判が良く患者数の多い整形外科病院である梅沢病院の院長が勤まるはずがないのである。

(五) 予見義務について

原告らは、被告において看視義務を忠実に履行すれば原告哲也のフオルクマン拘縮の前駆症状を認めることができた旨主張するが、その可能性は存在しなかつた。

医学の文献にはフオルクマン拘縮前駆症として疼痛、腫張、チアノーゼ、脈はく消失、運動麻痺、知覚異常、水疱形成等が記されており、この見解は一般に承認されているが、原告哲也の場合存在したと考えられる前駆症状は疼痛と腫張にすぎない。原告らは左手が冷たくなり、手甲の色が変わつて紫色の斑点ができた旨主張するが、左手の冷たさについては、当時左手は暖房設備のない病室で、裸で挙上位に牽引されていたのであるから、一二月上旬の気温を考えると、冷たいのは当然であり、これがフオルクマン拘縮の前駆症状であつたとは認められず、又左手甲の斑点については、手全体、特に指先の方が紫色に変化する症状であるチアノーゼとは異なるものであり、これも前駆症状とはいえないのである。

しかも右の疼痛と腫張に骨折一般に伴うものであり、かえつてこれらの存在しない骨折は存在しないともいいうる普遍的一般的症状なのであるから、その存在だけからフオルクマン拘縮の発生を予見することを求めるのは担当医師に神技を要求するにも等しいことである。

(六) フオルクマン拘縮の治療方法について

原告らは、フオルクマン拘縮の前駆症状ないし初期症状が出現したときは、牽引療法を中止して包帯を除去すべきであると主張するが、フオルクマン拘縮発生の機転である骨折による転位を除去し、移動した骨片等を復元することが第一の治療法であるから、包帯等が緊縛すぎなのように十分注意を払いつつ垂直牽引を行うのが阻血の治療でもあるのであつて、この点における被告の処置に誤りはなかつた。

また、垂直牽引中に症状が悪化し、チアノーゼが出現して爪の色も変化し、阻血が明らかに認められるような場合には、ある程度の危険覚悟で除圧手術等の施療に移行するのが高度にして正当な治療行為であるかもしれないが、これらの方法は実際にはほとんど実施されていない。それは、除圧手術は幼児の場合全身麻酔を要し、骨折治療を放棄せざるをえなくなるし、ガングリオンブロツクは交感神経への命中率が低く、かつ効果に疑問があり、動脈縫合術等にいたつては一般的整形外科が扱えない生命に対する危険性を伴う手術であるなどの弱点があることにもよるが、最大の理由はフオルクマン拘縮の前駆症状があらわれてその発症の危惧を抱きながらも垂直牽引等の治療を続行することによつてフオルクマン拘縮にいたることなく骨折の治療が完治するのが通例であるからである。

本件の場合にも同様であつて、被告は従来の経験からフオルクマン拘縮に到らずに完治すると判断して垂直牽引を続行したのに、不幸にして例外的に本症が発生してしまつたものである。もし、他の一般的整形外科医が治療にあたつていたとしても、施した治療方法は被告と同一であつたと思われ、その結果本症が発生したことも同一であつたはずである。

(七) 以上のとおり、原告哲也がフオルクマン拘縮に罹患したことと被告の診療行為の間に因果関係はなく、また、被告の診療行為に何らの過失もないから、本症の発生について被告に責任はない。

四、請求原因四はすべて争う。

1 原告哲也の損害について

(一) 逸失利益について

大人に後遺障害が生じた場合には、従前の職種と異なる職種を身につけて転職するためには相当の抵抗があり、目前の日常生活にも気を配らなければならず、その影響は大であるから逸失利益を考慮しなければならないことは当然であるが、原告哲也のような幼児にとつては、独立して就職するまでに相当長期間を要し、その間に特殊な教育や訓練によつて不自由な体に応じた職業も身につけることもできるし、またものを覚えたり、身につけることについて柔軟性もあつて、将来事務労働あるいは頭脳労働に従事する可能性が大きいのであるから、逸失利益は否定されるべきである。

仮にこれを認めるとしても、原告哲也の主張する逸失利益算定の方法は誤まりである。すなわち、同原告は、その左上肢の後遺障害が労働災害補償法の別表第一の第五級の四「一上肢の用を廃したもの」にあたると主張するけれども、「用を廃したもの」とは関節の完全強直又はこれに近い状態をいうところ、原告哲也の第一関節(肩関節)には全く異常がなく、第二関節(肘関節)にも機能障害はなく、第三関節(手関節)は屈側、背側とも自ら動かすことができ、仮に労働及び日常の行動において多少の障害はあつても、固定装具の着用を常時必要としないものであつて、単に障害を残すものという程度にとどまり、母指、示指は伸展及び屈曲について障害があるが用を廃したものとはいえず、環指、小指にも機能障害はなく、左手の五指は全体としてみると一部に機能障害が残存するものの用を廃したものとはいえないのである。また、仮に、原告哲也に後遺障害が残つたとしても労働災害補償法別表第一の等級は明らかに筋肉労働能力の喪失に関する補償基準であつて、本件の逸失利益あるいは慰藉料算定については参考資料にすぎない。

更に、原告哲也の主張するごとく、大学卒業者の年齢及び年間の給与額を基準とするのは将来の不確定要素を前提とするものであつて採用すべきではなく、国民の一般的、客観的基準により算定すべきである。

(二) 慰藉料について

原告哲也の慰藉料算定にあたつては、同原告の受傷が母親である原告ヨリ子の不注意により発生したものであること、本件診療は被告経営の救急病院としての責任上開始されたものであることを考慮し、また、原告哲也は現在小学生であり、今後の教育、訓練の過程を経たうえで相応な職業の選択もできるし、社会生活も家庭生活も常人と変ることなく充実できるという将来の明るい見通しをも斟酌すべきである。

2 原告定男、同ヨリ子の慰藉料について

もし、原告哲也に対し慰藉料請求権を認めるのであるならば、これにより両親である原告定男、同ヨリ子の精神的苦痛も慰藉されるのであり、本件においては原告哲也が死亡したときに比肩しうべき、または生命傷害に比べて著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたと認められるような場合にあたらないから、原告定男、同ヨリ子の慰藉料請求権は否定されるべきである。

(被告の抗弁)

仮に、被告に損害賠償義務が認められるとしても、本件フオルクマン拘縮の主因は、原告ヨリ子の養護上の不注意によつて生じた上腕骨顆上骨折にあるというべきであるから、原告哲也の損害額のうち相当部分を減額すべきである。

(抗弁に対する原告哲也の答弁)

医師が、負傷してかつぎ込まれた患者に対処した医療上の行為について不法行為の責任が問われている本件について過失相殺の概念の入る余地はそもそも存在しない。

第三 証拠〈略〉

理由

第一当事者

(一)  〈証拠〉によれば、原告哲也は昭和四二年一月一日に出生した原告定男、同ヨリ子の長男であることが認められ、これに反する証拠はない。

(二)  被告は、整形外科梅沢病院の業務を統括する院長であり、かつ同病院で整形外科の診療に従事する医師であることは当事者間に争いがない。

第二フオルクマン拘縮の発生

〈証拠〉によれば次の事実が認められる。(ただし、原告哲也が、昭和四四年一二月五日午後二時すぎころ、救急車で梅沢病院に運び込まれ、同日から同月一六日までは入院、その後翌四五年一月一二日までは通院のうえ被告の治療を受けたことおよび原告哲也がフオルクマン拘縮に罹患したことは当事者間に争いがない。)。

(一)  原告ヨリ子は、昭和四四年一二月五日午後一時ころ原告哲也を自転車の後部荷台にとりつけた補助椅子に乗せて買い物に出たが、自宅前の路上で忘れ物に気付き、スタンドを立てた自転車の上に原告哲也を残したまま自宅に戻つたところ、右自転車がアスフアルト舗装の路上に転倒し、原告哲也は左腕肘部付近を骨折した。原告哲也は、原告ヨリ子の依頼でかけつけた救急車に乗せられ同日午後二時すぎころ救急指定病院である鴻巣市所在の梅沢病院に運び込まれた。

(二)  原告哲也を診察した被告は、転位の著しい左上腕骨顆上骨折と診断し、即時入院の必要を認めたが、当時被告病院は入院ベツド満床のため、治療も終わりに近づいていた入院患者を退院させたうえ、その病院に原告哲也を入院させ、同日午後三時ころ、同人の左腕に弾力包帯を巻きスピードトラツクを使用して垂直牽引療法を開始した。垂直牽引は同月九日まで続けられ、原告哲也は、同日午後レントゲン透視下において徒手整復を実施されたのち、ギブス固定をされ、同月一六日ギブス固定のまま被告病院を退院した。退院後原告哲也は、同月一八日から翌四五年一月一二日まで被告病院に通院したが、この間、一月五日にギブス固定を外され、その後はマツサージ、温熱療法を受けていた。

(三)  ところで原告ヨリ子は、昭和四五年一月一〇日原告哲也を連れ、二男剛志の診療のため上尾中央病院に赴いたが、その際たまたま原告哲也の左手の状態をみた医師から、「大変なことになつている。すぐ神経剥離の手術をしなければならない。」といわれ、始めて原告哲也の左手が容易ならぬ事態に陥つていることを知つた。さつそく同月一二日熊谷市の小久保整形外科診療所において小久保祐久医師の診察を受けさせたところフオルクマン拘縮であると診断され、さらに、同月一五日には姫路市神野整形外科病院において神野泰医師の、同月一七日には広島大学医学部附属病院整形外科において津下健哉教授の診察を受けたが、いずれも重篤なフオルクマン拘縮と診断された。

(四)  原告哲也は、神野整形外科病院において機能訓練を受けたのち、昭和四五年六月ころと昭和五〇年九月ころの二度にわたり広島大学附属病院において手術を受けその後は家庭での機能訓練を続けてきたが現在に至るも左肩、左肘の関節には障害はないものの左手首は自ら動かすことができず、左手指はいずれもわずかに動かすことができる程度であり、手の感覚はつねればわかるが通常人に比して十分なものではない状態にあり、今後もこれ以上に改善される見込みはない。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

第三被告の責任

一本件診療の経緯

〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

(一)  前記のとおり、昭和四四年一二月五日午後三時ころ被告病院において原告哲也の左手の垂直牽引が開始されたが、その開始前、哲也の左手指の運動は良好であり、チアノーゼもなかつた。ところが、哲也は、牽引が開始されてまもなく激痛を訴えて激しく泣きはじめ、母親が押えつけるのをはねのけ、手のつけようがないほどベツドの上で暴れはじめた。そのため、看護婦が牽引のおもりを三キログラムから二キログラムに下げ、痛み止めの注射をうつたりしたがおさまらず、また、哲也が暴れて牽引の適切な状態が保たれないため看護婦とレントゲン技師らが哲也の左肩の上に砂袋二個をのせ、さらにひもや包帯で哲也の身体をベツドに縛りつけたりした。同日午後八時ころ哲也の左手は極度に冷たくなり、手の甲に紫色の斑点がでた。その夜、哲也は、断続的に金切り声をあげて激痛を訴え続けた。

(二)  翌六日の朝、原告哲也の左手は極端に腫れ上つてかたくなり色は白つぽく、冷たかつた。この日原告哲也は左手に触れられるのを嫌がり、声も出ないくらいぐつたりして、時折痛みを訴えた。

(三)  翌七日、原告哲也の左手は相変らず白つぽく腫れ上り、三八度を超える発熱があつて、食欲はなく、食べものを吐いたりした。

(四)  翌八日、哲也の容態は前日とほぼ同様であつたが、午前中レントゲン技師が写真二枚を撮影し、その後被告の診察があつた。被告は、哲也の包帯を巻き直し、牽引の重りを0.5キログラム増して2.5キログラムにした。同日夜、哲也の発熱を心配した原告定男は、かかりつけの小児科医の応診を被告に依頼したが、断われた。

(五)  翌九日朝、原告ヨリ子は院長室に呼ばれ、被告から、「治療してやる気がなくなつたから、出ていつてもらいたい。」などと転院をすすめられたが、懇願の末被告病院で治療を継続してもらうことになつた。同日午前一〇時頃、非常勤の大久保行彦医師が被告とともに哲也を診察したが、左指を他動的に動かしたところ抵抗が認められ、大久保医師は、被告に、「機能障害が残るかもしれない。」などと話した。右診察直後、被告は、哲也の包帯をゆるめ、牽引の重りを2.5キログラムから一キログラムに下げた。被告と大久保医師は、哲也に対する今後の治療措置を検討した結果、牽引を中止し、ギブス固定を試みることになり、同日午後二時頃、レントゲン透視下に徒手整復を実施した後、ギブス固定をした。なお、ギブス固定のため牽引用ラバーと包帯が外された際、原告哲也の左肘部外側の前腕寄りに、かなり大きな水疱ができていた。哲也は、ギブス固定をされる間、激痛のため大声で泣き続け、その後も夜まで断続的に痛みを訴えて泣き続けた。

(六)  一〇日、哲也に解熱剤とせき止めの注射がうたれ、翌一一日には熱が下り、一三日にマツサージ師の診察があつた。一四、一五日ころには手の腫れもややひいて柔らかくなり、翌一六日、哲也はギブス固定のまま被告病院を退院した。

(七)  原告哲也は、その後同月一八日、二三日、二九日、翌四五年一月五日と被告病院に通院したが、左手はしなびたようになつて全く動かず、手を上にあげると指が内側に曲るようなことがあつた。一月五日哲也のギブスが外れ、その際原告ヨリ子は、被告に哲也の指が動かないことを訴え、被告もその時点で明確にフオルクマン拘縮の発生を認識したが、原告ヨリ子には何らの説明もせず、ただ翌日から毎日通院してマツサージを受けるように指示した。原告哲也は、同月七日から同月一二日までほぼ連日通院して温熱療法、マツサージ療法を受けた。

(八)  そして、原告らは、前記のとおり同月一二日、小久保医師の診察により哲也がフオルクマン拘縮に罹患したことを知つたが、同医師の診察時、すでに原告哲也の左手にはフオルクマン拘縮特有の変形が存在していた。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二フオルクマン拘縮について

〈証拠〉を総合すれば以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(一)  フオルクマン拘縮は、一八七二年リヒアルト・フオン・フオルクマンによりはじめて報告された前腕のとくに屈筋が外傷後急激な筋変性に陥り、のち拘縮を起して手はクローハンドといわれる特有な変形を示すとともに高度の機能障害を訴える疾患であり、三〇歳以下の若年者、特に一〇歳以下の小児に多く、しばしば顆上骨折または前腕部骨折、肘関節脱臼などに引き続いて発生する。

(二)  広島大学津下健哉教授は、フオルクマン拘縮をその程度により三度に分類できるとする。

(1) 第1度の拘縮

拘縮程度が軽度で筋変性も限局性のもの。しばしば尺側二、三指のみに屈曲拘縮があり、他の指はほぼ正常の屈伸が可能か、また全指に拘縮があつてもその程度は軽度で屈曲はなんとかできるが握力が弱く、指の伸展が十分できないと訴えるものである。

(2) 第Ⅱ度の拘縮

前腕の屈筋、特に深部屈筋はすべて高度に変性を起しているが、浅層の屈筋、特に手根屈筋はほぼ正常に近い機能を有するものであつて、正中神経は変性筋部に相当して半分程度に絞扼され、正常の光沢を失い周囲組織と軽度に癒着しているのが普通である。

(3) 第Ⅲ度の拘縮

筋変性の程度が極めて高度で深層筋のみならず、浅層の筋もほとんど壊死に陥り、正中神経はもちろん、尺骨神経も瘢痕組織により絞扼され、正常の二分の一から四分の一程度に縮小し、手指の知覚障害、壊死に至らない筋肉の麻痺も高度なものである。

(三)  本症が発生する仕組ついては、動物実験により動脈の結紮は単なる萎縮、あるいは壊死を起すのみであるのに対し、静脈の結紮が本症に類似の変化を筋に招来するとすることを述べ、静脈の閉塞が第一の要因であるとする説(ブルツクス)、肘関節部の軟部組織や血管の損傷または上腕動脈の部分的閉塞により、前腕諸血管のスパスムス(けいれん)が起り、これが本疾患の原因となるとする説(グリフイツツ)、顆上伸展骨折に伴う本症の発生を説明して、顆上伸展骨折のため前腕は後方に移動し、肘前面の皮膚及び筋膜は緊縛して上腕動脈の血行を妨げるとともに静脈血の循環を障害して、うつ血をおこし、これらにより前腕の深部筋膜によつて閉鎖された屈筋群は腫張して栄養障害に陥り、ついに壊死、拘縮を起こすとする説(ブンネル)、あるいは、上腕骨顆上骨折により上腕動脈に断裂裂傷、血栓形成、スパスムス等を生じ、肘関節部以遠に動脈血行障害による酸素不足が発生し、これに最も敏感な前腕筋群、特に上腕動脈に依存度の大きい屈筋群に筋の浮腫性膨化が現われ、これが深筋膜及び筋間中隔によつて形成されるほとんど伸展性のない前腕屈側の個々の区域内の内圧を著しく上昇せしめ、これにより、リンパ及び静脈環流も障害され、浮腫は悪循環を生じてますます増強し、したがつて個々の筋膜区内の内圧もますます上昇し、前腕屈筋群の間を走る正中神経及び尺骨神経は長い距離にわたつて強い圧迫を受け、圧迫麻痺を生ずるとする説(神中)などがあるが、いまだ十分な解明はなされていない。

(四)  本症の急性期の臨床は受傷後急激に発生する。それは次のとおりである。

(1) 前腕および手指の著明疼痛、腫張が認められ、患者は不安状態となるものが少なくない。腫張はしばしば正常時の二倍以上にも及ぶことがある。

(2) 橈骨動脈の脈迫が消失する。

(3) 手指はチアノーゼとなり、知覚過敏、鈍麻をきたす。

(4) 指は中等度屈曲位をとるのが普通であるが、自動的な屈伸運動は不能であり、他動的に屈伸せんとすれば疼痛が著明に増強する。

(5) 水疱形成もしばしば認められ、包帯の下、副子の接触部には大きな水疱の形成をみることが少なくない。

(6) なかんずく、橈骨動脈の脈拍の消失、特にはじめふれていたものが時間の経過とともに消失したような場合、あるいは手指の知覚異常が漸次起つてきたような場合には病変の進行を示すものであり、被動的手指の屈伸が疼痛を増強すれば筋の変性が進行しつつあることを示すものである。

(五)  本症は一旦発生するとその治療は極めて困難で、多くの場合手は廃用性となり、機能改善の見込みはほとんどないから、本症発生の防止が極めて大切で、小児の顆上骨折、前腕部の骨折または挫傷の際には常に本症の可能性を念頭に置いて治療を行なうべきであり、もし、前記の急性期の症状が現われたならばただちに次の処置をとらなければならない。

(1) 顆上骨折で整復が行なわれていない場合には、ただちに整復を行なうかあるいは牽引療法により骨転位を除去して、血行の改善をはかる。

(2) 患肢は必ず挙上位に保つようにする。

(3) 包帯、副子固定が緊縛すぎる場合には早急にこれを除去する。

右の処置をとつたのち一、二時間の経過をみて症状の改善がみられなければ、前腕部における筋膜切開法を行う必要がある。すなわち、前腕屈側のほとんど全長に亘る切開により浅層筋膜はもちろん深層筋膜をも切離し、特に肘部から筋膜部に至る血管、神経を分離し、回内円筋は筋膜の中を正中神経が通過するので、将来における筋変性を考慮して切除したのち筋膜はそのままとして皮膚縫合を行なうのである。

以上の処置は症状発生後数時間内に行なわれなければならず、六ないし八時間以内に血行が回復しなければ筋の変性は不可逆性となるとされ、二四ないし四八時間以上も経過すれば、後記療法として、神経、筋の剥離その他の方法によつて筋の変性の増大を防ぎ、将来における筋再生の機会をより多くするよう努力する以外に方法はなくなり、一、二週間後に関節の拘縮、変形が発生しはじめることとなる。

三本症の発生時期

フオルクマン拘縮は、前記のとおりしばしば顆上骨折に引き続いて発生し、その場合血行障害に基く急性期の症状はその受傷後急激に発生するものであるところ、原告哲也は、前記認定のとおり、昭和四四年一二月五日午後一時ころ負傷し、牽引の開始された同日午後三時すぎころから翌朝にかけて激痛を訴え、同日夜には左手が極度に冷え、左手の甲に紫色の斑点ができ、翌六日の朝は極端に腫れ上がり、同月九日には左肘付近に大きな水疱ができているのが確認されたが、これらはいずれも本症の一般的な急性期の臨床床状に付合すること、また、前記認定の事実及び証人大久保行彦の証言によれば、同月九日大久保医師が診察した際、哲也の左手を他動的に動かすと抵抗が認められ、同医師は、この時点で拘縮の発生を疑い、被告とその対策を検討したことが窺われること、そして、翌四五年一月五日には被告も拘縮の発生を確認し、同月一二日の時点では哲也の左手は本症特有の変形を示していたことなどを考え合わせると、本症は、昭和四四年一二月五日午後三時すぎころに急性期の症状がはじまり、これにひきつづいて本症が発現し、翌四五年一月五日には拘縮が完成していたことが推認できる。乙第一号証の二のうち、一二月九日の欄の、「手術循環は障害はない。」という記載部分及び被告本人尋問の結果中、右記載と同一趣旨の供述部分はたやすく措信できず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

被告は、昭和四四年一二月二九日以後に阻血が生じた旨主張するけれども、何ら根拠のない主張であつて、とうてい採用できない。

四被告の過失

1  被告の一般的注意義務

医師は、医療および保険指導を掌ることによつて公衆衛生の向上および増進に寄与し、国民の健康な生活を確保することを職分とし、患者の生命の維持、健康の回復、増進等の人間にとつて最も基本的な部分を扱うものであるから、医療行為に際しては自己のとりうる最善を尽すことが求められるのであり、とりわけ自己が専門として掲げる分野については他の分野についてよりより高度な技術、知識を期待されているものであり、したがつてより高度な注意義務を負つているものであるところ、被告の本人尋問の結果によれば、被告は昭和三一年に医師免許を得、東京医科歯科大学に整形外科の専攻生として入り、助手を経て、川口工業東部病院の整形外科医長を勤めたのち、昭和三九年に整形外科梅沢医院を開業し、昭和四一年から病院形態として院長兼医師として診療をしてきたものであることが認められるから、被告においては整形外科を専門とする医師として整形外科に関してはこれを専門としない医師より高度な注意義務を求められることはいうをまたない。

2  被告の具体的過失

(一) 骨折の治療方法の適否

被告が、原告哲也の上腕骨顆上骨折の治療方法として徒手整復をしないままスピードトラツクにより垂直牽引を行なつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、顆上伸展骨折の治療法には、① 徒手整復法 手を用いて骨折部の整復を行なう。患者に麻酔をかける必要がある。

② 持続牽引法

(イ)  直達牽引法 尺骨上端(肘頭部)に鋼線あるいは鉗子をかけて牽引する。小児の場合には尺骨中枢側骨発育線を障害する危険がある。

(ロ)  介達牽引法 絆創骨あるいは包帯の継絡により牽引する。絆創膏による場合には皮膚炎を起しやすく、包帯による場合にはその巻き方が適切でないと骨折に伴なう腫張により手に圧迫が生じ、そのため阻血が発生しやすくなるおそれがある。

③  観血手術 手術により骨折した骨を露出したうえで整復する。できるだけ避けるべきものとされている。

があるが、いずれの方法によるべきかは整形外科の分野においても必ずしも確立されてはいないことが認められ、そして被告は、原告哲也の場合、徒手整復は、負傷直後に再度外力を加えることになる点や全身麻酔が必要となる点で適切でなく、また直達牽引は、やはり麻酔を必要とし、牽引を施すまでに長時間を要する点で妥当ではなく、結局、スピードトラツクによる垂直牽引が最も適当であると判断してこの措置をとつたものであることが被告本人尋問の結果により認められる。ところで、医師が患者の治療にあたる際、治療方法が複数存し、そのいずれによるのが最も妥当であるかについて通説的見解が確立されていない場合においては、具体的な臨床状況に応じ、自らの合理的な判断に基づいて特定の治療方法を選択してこれを施すほかはないのであるから、本件において、スピードトラツクによる垂直牽引法を採用した被告の前記のような判断も一応の合理性を有していると考えられる以上、原告哲也に対し右の治療方法を採つたことについては何ら注意義務の違反はないものといわなければならない。

(二) 看視懈怠の過失

原告らは、被告がフオルクマン拘縮の先ぶれである阻血の有無を看視すべき義務があるのに、これを怠つた過失がある旨主張するのでこの点を検討する。

(1) 前記認定の事実及び前掲甲六九号証および原告ヨリ子、同定男の各本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。

原告ヨリ子は、哲也が垂直牽引を施されてまもなくの、昭和四四年一二月五日午後三時一八分すぎころから激痛を訴えて暴れはじめたため、診察室に行き、被告に対し、「ものすごく痛がつて大泣きしているのですが、見ていただけないでしようか。」と懇願したが、看護婦の一人が「骨折だから痛いのはあたりまえです。小さいからたくさん痛み止めはうてない。」といつたのみで被告は診察にきてくれなかつた。ただ、同日午後四時ころ看護婦が来て牽引のおもりを三キログラムから二キログラムに減じた。原告ヨリ子は、哲也をなだめていたが、その痛がり様があまりにもひどいため再び診察室に行つて被告に診察を求めた。だが、このときも看護婦が来て痛み止めの注射をしただけで被告の診察はなかつた。その後も哲也は苦痛を訴えて暴れ、垂直牽引が適正な状態を保てない有様であつたので、原告ヨリ子は診察室に行き、「あまり暴れるから、牽引がきちんとなつていません。」といつたところ、看護婦二人とレントゲン技師の三人が病室に来て、原告哲也の上に砂袋をのせ、身体もベツドに固定した。原告定男は、同日午後六時すぎに梅沢病院に到着し、被告に面会を求めたが断わられ、その後病室にきた看護婦は、患者の爪の色が変わつたら連絡するように言つていた。そこで原告ヨリ子は、注意深く爪の色を見つめていたが、同日午後八時すぎころ、哲也の左手甲に紫色の斑点が出ていることに気づき、同日午後九時ころ訪れた看護婦に伝えたところ、「爪の色が変らなければ大丈夫です。」といわれたのみであつた。結局、被告は、一二月五日牽引を施した後全く原告哲也の診察をしなかつた。そして、翌六日、七日の両日も原告ヨリ子が終日原告哲也に付添つていたが、看護婦が日に三回検温のために病室を訪れただけで、被告はもとより他の医師の診察は全くなく、被告が牽引開始後はじめて哲也を診察したのは一二月八日になつてからであつた。

右認定に反する証人小林まさの証言及び被告本人尋問の結果は、いずれもたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) ところで、前記認定の事実及び〈証拠〉によれば、フオルクマン拘縮は、しばしば上腕骨顆上骨折に引き続いて発症し、筋組織に高度の機能障害を与える疾患であり、これが固定完成したのちは機能回復手術、訓練等によつてある程度の回復は得られるにしても、完全な治療方法は確立されていないため、その予防と早期発見が肝要であるところ、本症の急性期の臨床症状としては、末梢部の動脈拍動の消失または減弱、知覚・運動神経の麻痺の症状が現われ、また、末端部が腱側より冷たく青味をおびかつ腫張するとともに、強い自発性疼痛を訴えるものであるが、これらの症状は拘縮に至らない通常の骨折の場合にも程度の差こそあれ現われるものであるから、医師としては、その症状の程度と経過を絶えず慎重に看視しなければならないこと、また、これらの前駆症状ないし初期症状の発現する時期は、阻血の程度によりいちがいに決定しえないものの、受傷後もしくは治療施行後二四時間以内、遅くとも四八時間以内であるから特にこの時期の看視が重要であること、なお、本症は特に幼児の場合に起こる可能性が高いから、幼児の上腕骨顆上骨折に際しては一層看視を厳しくしなければならないこと、そして、以上のような医学知識は、医師とりわけ整形外科医においては周知のことであり、被告もその例外ではなかつたことなどの事実が認められる。

従つて、被告としては、昭和四四年一二月五日午後三時ころ、受傷後まもない二才一一か月の幼児を左上腕骨顆上骨折と診断して入院させ、同日午後三時すぎころ垂直牽引療法を開始したのであるから、当然フオルクマン拘縮の発生を予測し、それから二四時間ないし四八時間は、腫張、疼痛、チアノーゼ、知覚異常など拘縮の前駆症状ないし初期症状の有無を十分看視すべき注意義務があつたものといわなければならない。しかるに、被告は、前記認定のとおり入院当日の一二月五日、母親の原告ヨリ子から、哲也が激痛を訴えている旨告げられ、たびたび診察を懇願されたにもかかわらず、これを無視し、翌六日、七日の両日も、自ら哲也を診察せず、他の医師をして診療させることもしなかつたのであるから、被告は、その最も重要な時期に、原告哲也に対する看視の義務を怠つたことは明らかであるといわなければならない。なお、この間看護婦が原告哲也の様子を見に来たり、看護婦が家族の者に爪の色が変つたなら知らせるように指示した事実は認められるけれども、前述した看視の重要性と厳格性に照らし、これらの措置がなされたからといつて医師の看視義務が尽されたことにならないのはいうまでもないことである。

(3)  もつとも、被告が仮に十分な看視を尽したとしても、本件の具体的状況においてフオルクマン拘縮の発生を予見することが不可能であつたか、あるいは、その結果発生を回避することが不可能であつたならば、看視義務を怠つた点について被告の過失責任を問うことはできないから、さらにこれを検討するに、前記のとおり、原告哲也は、入院当日から翌日にかけて、拘縮の前駆症状ないし初期症状と認められる著明な腫張、疼痛、その他の症状を発現していたのであるから、被告としては、十分に看視さえしておれば、当然フオルクマン拘縮の発生の危険性を予見することができたものと考えられる。そして、前記認定の事実及び〈証拠〉によれば、原告哲也に前記のようなフオルクマン拘縮の急性期症状を認めた場合、直ちに包帯を取り除き、牽引の方法を切り換え、あるいは骨折部の徒手による整復を試みるなどして血行の改善をはかり、それでも血行の再現が得られない場合には、観血的な徒手整復、また情況によつては、交感神経節に対するブロカイン伝達麻酔あるいは除圧手術などの処置をすみやかに施行すべきであり、多くの整形外科医はこのような方法によつて拘縮の発生を防止していることが認められるから、被告において十分に患者を看視し、前記のような急性期の症状を認めたならば、本件の如き重篤なフオルクマン拘縮の結果発生は回避することができたものというべきである。

(4) 以上のとおり、被告は、原告哲也が入院した一二月五日から翌六日朝にかけて、フオルクマン拘縮の前駆症状ないし初期症状の有無を十分看視すべき義務があるのに、これを怠つた過失により、原告哲也に本件フオルクマンに拘縮を発生させたものというべきである。

五よつて、被告は、民法七〇九条に基づき、原告哲也が本症に罹患したことにより原告らの被つた損害を賠償する責任がある。

第四過失相殺についての判断

原告哲也がフオルクマン拘縮に羅患したのは、前記のとおり、被告が原告哲也の症状を十分看視しなかつたという過失に基因するわけであるが、他面、本症は同原告の顆上骨折が素因となつて生じたものであり、その骨折は同原告の母親である原告ヨリ子が幼児である原告哲也を自転車に乗せたままその場を離れたという過失によつて発生したものと推認されるところから、一応本症の発症には被告の過失と原告ヨリ子の過失が競合しているものといいうる。しかしながら、本件の如く医師が疾病に罹患しあるいは傷害を負つた患者を治療するに際して過失を犯し、その患者に損害を与えた場合には、医師は当然に疾病ないし傷害があることを了知したうえで治療にとりかかつたものであり、しかも患者に対しては最善の治療を施す高度の注意義務があるのであるから、単に疾病ないし傷害発生についての過失と医師の診察上の過失の大きさを比較し、これに応じて疾病ないし傷害の発生につき過失のあつた者と医師とに責任を分担させるのは相当ではなく、医師により大きな責任を問うことになるのが当然である。すなわち、医師に診療上の過失が存在しなければ損害が全く発生しなかつたと推測される場合には発生した損害すべてにつき医師に責を負わしめるべきであり、医師に診察上の過失が存在しなくても一定の損害が発生した蓋然性が存在したと推測される場合にはじめて疾病ないし傷害発生について過失を犯した者にも責を負わしめ、その割合は医師の過失がなくても発生したであろう損害の程度及び右損害発生の蓋然性の大小に応じて決めるのが相当である。

これを本件についてみると、被告の看視義務の懈怠は極めて重大で、この過失が存しなければ原告哲也が現に蒙つたような重度のフオルクマン拘縮に至ることはなかつたと推測できるが、他方、同原告が幼く、受傷した顆上骨折もかなり重篤なものであつて、フオルクマン拘縮に罹患しやすい状況にあつたこと、負傷後病院に至るまで一時間強の時間が経過していたこと、そして本症の急性期の症状があらわれた際、血行の改善をはかるための措置は高度に的確な判断と迅速性を要することなど前記の諸事情を考慮すると、より軽度の本症が発生し、その結果より軽度の損害が生じた蓋然性は少なからず存在したものと推測されるから、これを斟酌すると、本症による損害のうち、一割は被害者側の過失によるものとして減額し、被告には九割を負担させるのが相当である。

第五原告らの損害

一原告哲也の損害

(一)  積極損害

金一二八万六、二九九円

(1) 診療治療費

金三一万五、八四一円

〈証拠〉によると、原告哲也は、診察治療費として梅沢病院に九、八〇〇円、小久保整形外科診療所に二四五円、神野整形外科病院に二万三、八七〇円、広島大学医学部附属病院に二七万三、九二六円、装具代として松本義肢装具研究所に一万二、五〇〇円合計三二万〇、三四一円を支払つたことが認められるが、昭和四四年一二月一六日に梅沢病院に支払つた入院治療費、九、〇〇〇円のうち被告の過失と相当因果関係にあるのは五割と認めるのが相当であるから、残りの五割にあたる四、五〇〇円を右合計金より差し引くと、原告哲也が被告に請求できる治療費は金三一万五、八四一円となる。

(2) 入院通院に伴う付添看護料

二七万七、〇〇〇円

原告哲也が梅沢病院に昭和四四年一二月五日から同月一六日まで入院した後も、神野整形外科病院に通院、広島大学附属病院に入院および通院してそれぞれ治療を受けたことは前認定のとおりであるが、〈証拠〉によると、原告哲也の入院期間は梅沢病院に一二日間、広島大学医学部附属病院に一〇三日間、通院期間は神野病院に三九日間、附属病院に一〇日間であつたことそしてその間原告哲也は付添看護人を必要としたことが認められるので、原告哲也は付添看護料相当額の損害を受けたことが推認されるところ、その額は、入院については一日二、〇〇〇円、神野病院への通院については一日一、〇〇〇円、附属病院への通院については一日二、〇〇〇円(前掲甲第一九号証によると附属病院への通院には二日間を要したことが認められる。)と認めるのが相当であるから、その合計は金二八万九、〇〇〇円となる。ただし、梅沢病院の入院の際の付添看護料相当の損害については原告哲也のフオルクマン拘縮とは五割を限度として相当因果関係があるものと認めるのが相当であるから、残りの五割にあたる一万二、〇〇〇円を右合計金から差し引くと、原告哲也が請求し得べき付添看護料は金二七万七、〇〇〇円となる。

(3) 交通費

金四三万四、六四〇円

〈証拠〉によると、原告哲也は入院通院に関する交通費として合計四三万六、六四〇円を支出したことが認められるが、このうち昭和四四年一二月五日から同月一六日までの交通費四、〇〇〇円については五割を限度として相当因果関係があるものというべきであるから、同原告の請求し得べき交通費は金四三万四、六四〇円となる。

(4) 宿泊費 金八万〇、六六三円

〈証拠〉によると、原告哲也は入院、通院の際の宿泊費として、合計八万〇、六六三円をふじや旅館等に支払つたことが認められる。

(5) 入通院諸雑費

金一七万八、一五五円

〈証拠〉によると、原告哲也は入院通院に際し、電話代等諸雑費として合計一八万五、七五五円を支出したことが認められるが、このうち昭和四四年一二月六日、同月七日支出した合計七、六〇〇円については原告哲也のフオルクマン拘縮と相当因果関係が認められないからこれを差し引くと金一七万八、一五五円となる。

(6) なお、〈証拠〉によると昭和四四年一二月から翌四五年七、八月にかけて、原告方の電話料金及びガス料金が、その前後の時期と比較し、一月平均でそれぞれ約二、三〇九円、四六三円増加したことが認められるけれども、これら公共料金の増加分と原告哲也のフオルクマン拘縮との相当因果関係を認めるに足りる証拠は存在しない。また、〈証拠〉によると、原告哲也は入院通院した大学附属病院、神野病院の医師、看護婦などに対する礼金として一四万四、五五〇円、ヘルシー購入、取付代として三万一、〇〇〇円、時刻表購入代として一二〇円合計一七万五、六七〇円を支出した事実が認められるけれども、これらの支出と本件フオルクマン拘縮との相当因果関係も認め難い。

(二)  逸失利益

金八七〇万二、二〇〇円

前認定のとおり、原告哲也の左手には大きな機能障害が残つており、将来同原告においていわゆる肉体労働に従事するにはほとんど致命的な障害となるものと推測されるが、他方、同原告はいまだ可塑性に富む年代にあり、今後の教育により本症による障害のより少ない方面に就労することが十分可能であることをも考慮すると、同原告の労働能力の喪失率は四〇パーセントとみるのが相当である。

ところで、原告哲也はその逸失利益の計算にあたり大学卒業者の月間給与、年間賞与を基準とするのが相当であると主張するが、同原告はいまだ小学生であり、大学を卒業するか否かは不確定であるからこれに依るのは相当ではなく、同原告が昭和四二年一月一日生れの男子であることは前認定のとおりであるので、同原告は、満一八歳に達したときから満六七歳に達するまでの四九年間稼働し、この間毎年少くとも、昭和五〇年賃金購造基本統計調査による男子労働者全年齢平均月間給与である一五万〇、二〇〇円、年間賞与である五六万八、四〇〇円にそれぞれ五パーセント分を加えた額の収入を得ることができるものと認めるのが相当である。そして、これより年五分の割合による中間利息をライプニツツ方式により控除し、これに労働能力喪失率である四〇パーセントを乗じると原告哲也の逸失利益は次の算式により金八七〇万二、二〇〇円となる(円未満切捨て、以下同じ)。

(15万7,710×12+59万6,820)

×(19.11912384−10.37965804)×0.4=870万2,200

(三)  そして、(一)、(二)の合計額から前述の被害者側の過失として一割を控除すると、金八九八万九、六四九円となる。

(四)  慰藉料  金五〇〇万円

原告哲也は幼児のうちに大きな後遺障害を抱えることとなり、生涯社会生活、日常生活において制約を受けながら生きていかなければならず、フオルクマン拘縮治療のため長期間にわたり入院、手術、通院、機能訓練の日々を送つてきたことをもあわせ考えるとその精神的苦痛は重大であつたものと推認できるが、他方、本症が同原告の母親である原告ヨリ子の過失により生じた顆上骨折に由来するものであるなどのほか本件に顕われた諸般の事情を考慮すると、被告に負わしむべき慰藉料は金五〇〇万円とするのが相当である。

(五)  以上合計すると原告哲也の損害額は一、三九八万九、六四九円となる。

二原告定男及び同ヨリ子の損害(慰藉料)各金五〇万円

前記認定の事実によれば、原告定男及び同ヨリ子は、長男である原告哲也が左手に重大な機能障害を受けたことによりともに苦しみ、その治療のために奔走し、今後も、右のような疾患を負わされた哲也を養育していかなければならない少なからぬ精神的苦痛を受けたことが推認されるから、右原告らも独立して慰藉料の請求ができるというべきである。

そして、その額は前記認定の諸事情を考慮すると、原告定男、同ヨリ子につき各金五〇万円と認めるのが相当である。

第六結論

以上の次第であるから、被告は、原告哲也に対し金一、三九八万九、六四九円、原告苦田定男及び原告苦田ヨリ子に対し各金五〇万円、並びに右各金員に対する不法行為の日の後であることが明らかな昭和四七年一〇月一一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があり、原告苦田哲也の本訴請求は右の範囲で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、原告苦田定男及び同ヨリ子の請求はいずれも正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(小池二八 小圷真史 片山俊雄)

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